最後の書類手続き

裁判所での最終決定へ向け、エイジェンシーからこれが”最後”という書類手続きのための面談のリクエストがあった。
場所はエイジェンシーのオフィスで、ソーシャル・ワーカーとの面談は私たち夫婦だけでなく、こちらで選んだ2人の推薦人も必要だった。それぞれの忙しいスケジュールにも関わらず、全員が都合の良い日時が、リクエストから間もなくの先週の木曜日に決まった。
木曜日の朝、エイジェンシーに着くと、既に推薦人の一人が面談を終えたところだった。面談は一人ずつ、私たちには会話の内容が分からない様に進められた。もう一人の面談が終わるまで娘と私たち夫婦は別室で待機。


推薦人達の面談は短時間終了し、いよいよ私たちの最後の書類手続きに入ったが、娘の成長に関する簡単な質問と、裁判所に提出する書類にサインを入れるのがメインだった。
この書類に基づき、裁判所での最終決定後娘の出生証明書の姓が変わり、証明書に記載されている両親の名前も産みの親から我々の名前に変更される。娘と産みの親との書類上の繋がりは完全に消え、私たちが唯一の親となる。娘が養子であるという記録も、掘り起こさなければ残らない。なんだかとても感動的である。
名前の綴りをしっかりと確認し、書類にサインを入れた。


最後に出された書類は、正確なタイトルは忘れてしまったが、”インディアン文化の紹介計画書”というようなものだった。
カナダで“インディアン”という言葉は、日常差別的として使う人はあまり居ない。現代ではファースト・ネイション、アボリジナル・ピープル(原住民)またはインディジェナス・ピープル(先住民)などと呼ばれているが、公式文では”インディアン”という言葉が使われているようだ。養子縁組申込書の希望する子供の人種欄にも、先住民は”インディアン”、”イヌイット”、”メイティ”と、3つに別れて記載されていた。
ここでは詳しく書かないけれど、カナダ政府と先住民の関係は、他の国同様とてもセンシティブな問題である。住んでいると否応無しにある程度の問題には気がつくし、歴史も徐々に分かって来るが、私の知らないことも勿論沢山あるし、私自身の生活とは直接関係のないこととして、それ程意識せずに暮らして来た。しかし養子縁組を通し、今後ある程度の関わりを持つことになった。

娘には4分の1先住民の血が流れている。そのため、この”インディアン文化の紹介計画書”なるものに、今後養子の娘にどのように“インディアン”文化を紹介・教育していくのか、という計画を具体的に記述しなければならない。これは法律で決められていて、避けて通れないもの。混血の場合いったい何世代まで遡るのか分からないが、クォーターなら確実に血は濃いということのようだ。
この計画書を裁判所に提出し、どこまで実行しなければならないのかははっきりと伝えられていないが、私も興味あることなので、娘と一緒に“インディアン文化”を学ぶ、というのも将来の楽しみの1つとしておきたい。


翌日の金曜日、夫が指紋を押捺した警察署に、出来上がった無犯罪証明書を直接受け取りに行った。そしてその足でエイジェンシーに届け、これで本当に全ての必要書類が揃い、後は裁判所での決定を待つばかりとなった。
予定では、来年1月。しかし最終決定までの時間は、裁判官次第とのことである。


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まだ終わらない、養子縁組最終決定までの道

私たちの裁判所での養子縁組の最終決定の予定は来年の1月。それまで私たちは養父母であり産みの両親と娘の共同保護者、という立場。この最終決定まで、7月23日の時点からおよそ6ヶ月かかると言われている。
現在の時点で3ヶ月経過したが、全ての書類手続きは養子縁組エイジェンシーと弁護士が進めているので、私たちはひたすら“その日”を待つだけ、、、、と思っていた。


10月に入り、エイジェンシーから手紙が届いた。
私たち二人の無犯罪証明書を再び取得しなければならない、という内容。無犯罪証明書は養子縁組を申し込む時に一度取得したが、今回裁判所からのリクエストで再び取得しなければならないとのこと。

数日後、家の近くの警察署に赴き無犯罪証明書の取得申請を済ませた。最近改正された、とのことで、この証明書の取得に75ドル支払う。
10日で取得出来ると言われ、待つ事およそ10日後、警察署から封書が届いた。無犯罪証明書が届いたのかと思い開けてみると、なんと夫と似た名前、または同じ誕生日の人物に性犯罪者が居るため、指紋押捺をするようにとのこと。

仕事の合間を縫い、近くの警察署ではなく指定された警察署へ赴き、指紋押捺へ出かけた夫、不運にも性犯罪者と誕生日が同じというだけで、更に25ドルを支払い指紋の提出。
結局無犯罪証明書の取得には更に10日かかることになった。


しかしあれからもう10日以上、そろそろ二人の無犯罪証明書が届いても良い頃だ。
エイジェンシーから届いた無犯罪証明書のリクエストの手紙の日付から、もうすぐひと月。
この指紋押捺の義務のおかげで無犯罪証明書の取得も遅れ、裁判所での最終決定が伸びてしまうのではないかと、少々心配になる。


早く無犯罪証明書が届きます様に。


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産みの母との面会 4

前回から再びひと月以上空き、産みの母と娘の面会は10月13日に行われた。
今回、産みの母は初めて養子縁組の事を知る人の居ない、公の場であるカフェを面会場所に選んだ。


交通事故の怪我もすっかり癒え再び肉体労働の仕事に復帰した産みの母は、かなり疲れた様子であったけれど、精神的には非常に落ち着いていて、久しぶりの娘との再会をとても喜んでくれた。
いつも通りに着いてすぐに娘を抱く。娘を見る度に産みの母にそっくりだと思って来たけれど、この3ヶ月で大分顔つきが変わって来たせいか、似ているけれど違うなと初めて思った。
しかし顔のパーツが似ているため、傍からは明らかに血の繋がった親子に見えるだろう。

39週間お腹に居た時間にはまだ叶わないけれど、産まれてから過ごして来た時間は私たちの方が長いし、赤ちゃんの扱いにも慣れて来ているため、これまでの面会とは違い、産みの母と一緒に居ても私たちがこの子の両親なのだという自覚というか、自信のようなものを感じた。この子の親として、私たちも日々少しずつ慣れ、愛情と信頼を育んで来たので、娘との絆が以前よりも強くなっているからかもしれない。


これまでよりも若干短く、1時間程で産みの母は娘を夫に抱き渡した。
面会はおよそ1時間半程で終了、彼女を家に送って行く道中、今の仕事のこと、過去の生活を断ち切るために引越しを考えていること、行こうと思っている学校のことなどを話してくれた。
自分の人生の新たなスタートに向かって頑張っている様子に、今度こそ、彼女の夢が叶うようにと祈らずにはいられない。


ドラッグを再利用したり、再びストリート生活に戻った場合、産みの母はもう娘に会う事は出来ない。少なくとも娘が18歳になるまでは。彼女もそれは十分承知している。
娘のおかげで自分はクリーンになれた、という産みの母。
娘のおかげで、私たち夫婦もこれまでに無い希望に満ちた、より幸せな人生を歩み始めている。
産まれてたった3ヶ月の小さな命だけれど、この子はもう3人の人生に“幸運”を与えてくれているのだ。


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養子縁組最終決定待ちの間での海外渡航

7月23日に『魔の10日』が開け、正式に親となったわけだが、裁判所での最終決定までは出生証明書に書かれている娘の姓は産みの母のもの、産みの両親とは共同保護者という状態が6ヶ月続く。現在2ヶ月半たったところ。


私たちの最終決定の予定は来年の1月。しかし11月に国外に旅行を予定している。仕事関係で、避ける事ができないスケジュールだった。
エイジェンシーには始めからこのことを伝えていたところ、出生証明書の姓は産みの親のものだが、養父母の姓にてパスポートを取得する事は可能であり、最終決定以前に子供を連れての州外、国外への旅行も可能とのこと。


パスポート申請には、まず出生証明書が必要。証明書は養子縁組エイジェンシーからの公式な手紙が届いてから、レジストリー・オフィスにて申請する。
申請には共同保護者同意書のコピーと、産みの両親に関する情報(父母のフルネーム、出生地等)も必要。これは、産みの親に関する情報と娘の誕生時の記録など、エイジェンシーがまとめて送ってくれていたので、それを参考にした。
申請からおよそ10日で、出生証明書が郵送されて来た。
出生証明書の娘の姓は産みの母、両親の名前も私たちではない。


出生証明書が届いたところで、パスポート申請の準備。
普通の子供用パスポート申請用紙に夫の姓で娘の名前を記入、「養子縁組プロセス中」という欄に印を付ける。そして養子・里子用の追加申請書にも必要事項を記入。他に養子縁組エイジェンシーからのパスポート申請用の手紙(1月の最終決定までに我々が共同保護者であるという内容を含んだもの)、裁判所に提出した共同保護者同意書のコピー、産みの両親のサイン入りの手紙(養父母である我々が娘のパスポート申請者であることと、子供を国外に出す事に同意するという内容のもの)、この手紙は、産みの父親と後にコンタクトを取ることの難しさを考え、彼が必ず来ることが分かっていた病院での娘の引き渡し時、弁護士の元でサインしてもらっていた。


準備できたら、全ての指定された書類と写真を持ってパスポートの申請へ。
この時点で、多分何か足りないと言われるだろうと予想していたけれど、最初に対応した職員は養子縁組決定待ちでの受付に詳しくないため、上司が対応。以外にも問題なく受け付けてくれた。

そして指定日よりも少し早い2週間未満で、娘のカナダ国籍のパスポートが届いた。
心配していた名前も、ちゃんと夫の姓で記載されていた。通常カナダのパスポートは5年ごとの更新だが、赤ちゃんである娘パスポートの有効期限は2年。
産みの母の姓で発行された場合は、裁判所での最終決定後に再申請しなくてはならないし、姓の違う子供を連れての渡航はいかにも誘拐ぽいため、とても心配していたので、夫の姓で発行してもらえてかなりホッとした。


心配していたパスポートの姓の問題は無くなり安心していたところ、、空港でのチェック・イン時に、誘拐を避けるため子供の出生証明書の両親の名前と連れている大人のパスポートの名前が同じか確認することが法律で義務づけられていることを知る。
出生証明書に記載されている両親の名前と我々の名前はどう見ても違うので、航空会社に問い合わせ。
ここでまた共同保護者同意書を求められたが、コピーの場合は公証人に承認してもらわなければならないとのこと。

私たちの担当だったソーシャル・ワーカーに相談したところ、エイジェンシーに公証人の資格を持つ人物が居るということで、早速会ってもらい、共同保護者同意書を承認してもらった。ついでに、パスポート申請に提出してしまいコピーしか無い産みの親からの手紙も承認してもらった。


さてこれで、無事に渡航出来るだろうか...。


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産みの母との面会 3

8月23日に、仕事を見つけたために面会をキャンセルした産みの母だが、予定していた9月最初の日曜日である8日の面会は、再びキャンセルとなった。

面会の日の前日の土曜日、産みの母が車に撥ねられた。
連絡は面会の当日に養子縁組エイジェンシーの担当ソーシャル・ワーカーから入った。幸い大事に至らず軽症で済んだが、ひき逃げだったらしい。目撃者もなく、産みの母も意識を失っていたため、結局犯人は分からず仕舞。
軽症とはいえ、娘がまだお腹の中にいる時だったら..と思うとゾッとした。

打ち身とねん挫以外、本人は元気であるということで、9月12日に久しぶりに会うことにした。


12日、娘の初めての予防接種の後、産みの母に再会した。
ひと月以上ぶりに会う娘に、とても驚いた様子を見せる産みの母。松葉杖は取れたけれど、片足に大きなギブスをはめ、体のあちこちに痣や擦り傷が痛々しい。この娘には、本当に次々と災難が降り掛かかる。それでも、精神状態がとても良い産みの母は、過去の面会とは全く異なった様子で、元気一杯に娘との再会を喜んでくれた。
これまでの面会で、娘はいつも産みの母の胸の上で眠り続けていた。このひと月で娘が起きている時間が大分多くなり、産みの母はより嬉しそうだったが、いつもの様に愛おしげに抱き続けても、ぐずり始めるとどうして良いか分からなくなった様子で、すぐに私たちに助けを求める。彼女が産んだ子ではあるけれど、今は私たちの子なのだ、と彼女の前で初めて強く思った一瞬だった。
前回までの面会時間はおよそ2時間、最期まで名残惜しそうにしていた産みの母が、この日は自ら1時間半で切り上げ、とてもさっぱりとした様子だった。
会わないひと月の間に、大分気持ちに変化があったのかもしれない。


面会は、産みの母が通っているユースの施設で行われた。
施設には、とても雑破で簡素な託児室がある。家族のサポートのないストリート・キッズたちが産んだ子達を預けることが出来るようになっている。政府のユースへのサポートもあるが、21歳で打ち切られる。施設の職員の話では、親が10代または20そこそこのシングルのまま産み、ここで育った子供達の80%以上が親と同じ道を繰り返すのだそうだ。それを分かっていても、子供を手放す事が出来ない親が殆ど。政府のサポートが切れ、結局育て上げる事が出来ずに子供達はフォスター・ファミリーの元を転々と回される。

自分とは同じ経験をさせたくない、自分が得る事が出来なかった安定した暮らしを与えたいと強く願った産みの母が、周りの若い母親とは異なる決意をし我が子を養子に出した事を、『あの時は本当に苦しかったけれど、自分の決断は正しかった』と、心から思ってくれる日が来ると良いなと思う。


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娘の成長と私

大分間があいてしまいました。
前回が6週間健診で、8月だったのがもう10月。娘もあと1週間で満3ヶ月。毎回ミルクをしっかりと飲んで、元気に丸々と成長中。
先月のことになるけれど、記録しておこうと思います。


生後6週間くらいから笑顔を見せるものだと本やネットや周りの人達から聞いていたものの、娘は全く笑顔を見せず、いつも機嫌の悪い顔ばかりだったが、9月1日、ついに私に向かってはっきりとした笑顔を見せてくれた。8週目だった。嬉しかった。
今では機嫌が良い時に笑顔を見せてくれるが、特に朝は機嫌が良く、満面の笑みだ。


娘が笑ってくれたのと同じ頃に、心から“可愛い”と思う様になった。それまでも可愛いと思う気持ちはあっても、どちらかというと、突然やって来たペットを大切に世話しているような感覚だった。または他人の子を育てている感覚で、毋子の感情的な絆が無い、と感じていた。
実際に産んだお母さんでもすぐに絆は感じない、という話も何度も聞いていたので、あまり心配はしていなかったが、産みの母にそっくりな娘を見る度に、彼女の子だな〜と思ってしまうし、『泣く』『寝る』『不機嫌顔』のみでこちらへの反応が全く無く、特に不機嫌顔ばかりされると、「私がお母さんじゃないから?」と不安になったり。
それでも毎日頑張って世話をし続けることおよそ2ヶ月。ある晩ミルクを欲しがって私を見つめる顔を見た瞬間、「まあ、なんて可愛いんだろう。」と、衝撃が走ったのを覚えている。それ以降、“可愛い”の次元が変わった気がする。

今でも「産みの母にそっくりだわ。」と思うが、自分の娘なんだという感覚が強くなった。どんなお母さんも同じように思うのだろうけれど、“ウチの子が一番可愛い”と思う私。


産みの母との面会の間が大分空いたのも、私の中での感情の変化に影響を与えた理由かもしれない。
色々難関はあったけれど、私たちを選んでくれて、こんな可愛い子を産んでくれた産みの母への感謝の気持ちが、時間と共に静かに、より強く私たち夫婦の中に根付きつつある。面会の頻度が減ったら逆にそう思う気持ちが強くなった。日頃あまり意識しないけれど、確実に強く私たちを支えている基礎のような、そんな存在。彼女無しでは、今の私たち家族はあり得ないのだ。


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6週間健診と面会の行方

今週で娘は満6週間。先日6週間健診へ行って来た。
今回も、体重、身長、頭部測定と、体全体の触診等。
ミルクを沢山飲むので、体重が平均よりもかなり重いのかもと思っていたけれど、3つの測定とも平均値内。ただ、体重が平均値内でも重め(体重はこのひと月で1キロ以上増えていた)、頭のサイズは大きめ、身長は短め、とのこと。頭が大きく身長が低い、と聞くと少々気になるが、今は別に気にする程でもないようだ。

最近ミルクを飲み終わっても物足りなさそうにするので、量を増やすかどうか迷っていたけれど、まだ6週間ということで、今以上増やさない方が良いとのアドバイスを受ける。
成長や肉体的な発達に特別問題も無く、6週間健診、無事終了。



この日は、午後から産みの母との面会の予定も入っていた。
しかし、面会は再びキャンセルとなる。今回は、仕事が見つかったから、という理由だった。
今月は私たちも都合が悪いので、次の面会は9月の最初の日曜日に設定。
暫く間が空いてしまうので、次はキャンセルは無いだろう。ほぼひと月振りになるから、産みの母も娘の成長に驚くに違いない。

会えない代わりに娘の写真を数枚送ってあげると、とても喜んでくれた。
産みの母が自分の人生を築き始めているようで、私たちも少しホッとした。


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