養子縁組ピクニック

少し前のことになるけれど、今月養子縁組エイジェンシー主催のピクニックに参加した。
このピクニックは毎年恒例になっていて、既に縁組を済ませた家族の交流以外、待ちリストの夫婦や産みの親などのサポートも兼ねていて、エイジェンシーに関わる誰もが参加出来るものだった。私たちは待ちリスト中、時間が経つに連れなるべく養子縁組の話題から遠ざかって暮らしたいと思う様になったのもあり、傷口に塩を塗る様な気がしたこの手のイベントには、一度も顔を出したことがなかった。今回始めて参加を決めた理由は、他の養父母に会ってみたかったのと、娘が歳の近い赤ちゃんと会えるかもしれないと思ったからである。
産みの親の参加も可能ということで、私もちらっと娘の産みの母を誘ってみようかと考えたりもしたけれど、彼女は『魔の10日』の一件以来、エイジェンシーとの信頼関係を無くしてしまい、電話をするのも避けているようなので、誘わないことにした。

当日はお天気も上々で、ピクニック日和。参加者は100名以上で、エイジェンシーが参加者登録を行った時に同時にボランティアで全ての準備や食べ物、飲み物等の必要なものの担当も募ったので、食べ物が足りなくなるなんていう事も無く、とてもスムーズだった。
ピクニックといっても、ランチはコミュニティー・ホール内に用意され、食べ終わったら外で皆それぞれ時間を過ごす、という感じだった。
それから、小さい子ばかりでなく、もう結構育った子達やティーンの子を連れた家族も来ていて、縁組後も毎年参加している人も居るようだった。


私たちが娘をブランコに乗せていると、隣に娘よりも数ヶ月大きな女の子を連れている、40代のお父さんがやって来た。
その女の子はとっても可愛い美人さんだった。産みの毋が出産前に彼らを選んではいたものの、エイジェンシーが連絡をしないうちに急遽産む事になり、インスタント・プレイスメント(緊急でマッチング無し)のような状況だったらしい。決断するのに2日しかなかったと言っていた。
そして、もう40代なので二人目は諦めて、その女の子一人で良いと言っていた。二人目は諦める可能性が強いものの、まだ迷いがある私たちにとって、その言葉は重く感じられた。やはり、40、しかも半ばを過ぎているのだから、二人目は諦めた方が懸命なのかもしれない、と。


他の人とも話してみたかったので、食後は夫と娘を連れて屋内外をウロウロし、娘の歳に近い小さな子を連れている夫婦を見つける度に話しかけてみた。

双子を縁組した夫婦、産みの母が再び妊娠し、結局同じ毋から産まれた子供2人を養子にした夫婦、もう閉経したと思ったら妊娠していたという、年配の女性が産んだ子を養子にした夫婦、とっても可愛いイヌイットの女の子を連れた家族は、その子に瓜二つな産みの母も一緒に来ていた。

同じプロセスを得て家族になる養子縁組だが、本当に皆それぞれに感動的な物語があるのだなあと思った。
縁組を通して子供に恵まれる過程は、本当に1つ1つ異なるけれど、ここに集まって来た子連れ家族に共通しているのは、皆この上なく幸せであるということだった。
私たちは避けて来たけれど、待ちリスト中の夫婦で参加した人達は、このポジティブなエネルギー浴びて、「私たちもきっといつか夢が叶う」ということを確認するために来ているような気がした。


そして帰り間際、今回の縁組でとってもお世話になった、私たちの担当だったソーシャル・ワーカー、Mにも会うことが出来た。
Mは多くのに囲まれて忙しそうだったけれど、私たちが娘を連れて近づくと、すぐに立ち上がって駆け寄って来てくれた。
娘の成長ぶりに驚く彼女に、産みの母のことや、日本に帰国した事など話した。子供を手放した後のカウンセリングもあるらしいが、産みの母のはあれから一度も連絡をして来ない、とMは少し寂しそうにつぶやいた。二人の信頼関係が壊れてしまったのは本当に残念だけれど、時が経ち凍てついた関係が自然に融ける日が来ることを願う。そして、今回産みの母を誘わなかったのは正解だったな、と思った。

Mの居たグループに、私たちが受けた最初のワークショップで一緒だった夫婦が居た。夫が、『自己紹介で最初に泣き出した人で、そのあと自分も含めて全員次々泣いた。』というので彼女の事を強い印象で覚えていた。私は誰が最初だったかというのは忘れていたのだが、自分自身も泣いたし、連鎖泣きは覚えていた。彼らは2歳の女の子を連れていた。子供がいくつの時に縁組したのかわからないけれど、私たちよりも先だったのだろう。

あれから4年以上、あの時泣いていた夫婦が、お互いに笑顔で子供を連れて再会出来るなんて、なんだか感動的だった。



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