始めての子連れ帰国:私の家族との対面

4月から5月にかけて、始めて家族3人で日本へ帰国した。
昨年の同時期に夫婦二人で帰国した時には、一年後に子供を連れて帰国する事になるなんて予想もしていなかった。そして、始めて娘と会う私の家族がどのような反応を示すのか、楽しみでもあり不安でもあった。


周りの誰もを一瞬で幸せな気持ちにさせてしまう様な素敵な笑顔の産みの母にそっくりの顔立ちで産まれて来た娘は、彼女の魅力的なその笑顔も受け継いでいた。そして娘の笑顔はまるで漫画のように完璧だった。
始めて見る日本の家、私の両親との初対面で不安そうにしていた娘も、あやされて少し慣れるとすぐに得意の笑顔を振りまく様になり、父も毋も娘の描いた様な笑顔にあっという間に魅了されてしまった。ちゃんと触れ合ってくれるのかと心配していた弟すら、目が合う度にニコニコと微笑みかけられ、すぐに娘の虜になってしまった。
「赤ちゃんをこんなに間近で見たのは始めてだ。」という弟。他人との交流が出来ない弟が、血の繋がらない姪である娘にこんなにも興味を持ってくれて、娘の安全を誰よりも心配し、可愛いと言って毎日会うのを楽しみにしてくれた。それはとても意外だったけれど、私にとって本当に嬉しいことだった。娘の無垢な微笑みが、弟の頑な心を溶かしている様だった。


私の毋は3人の子供を産んだ。
息子二人、そして娘(私)一人。息子一人は10代のころから心の病気を煩い、もう一人の息子は産まれた時から精神面に障害を持っていた。結局二人とも自立することができないまま大人になり、結婚して子供を持つことも無く、多分今後も独身のまま、変わる事はないだろう。そして両親は唯一結婚した娘に孫を期待していたけれど、その娘は不妊だった。
親を喜ばせるために養子縁組を望んだ訳ではないが、結果として孫が出来た喜びを、両親にも味わってもらいたい、という思いは私の中に強くあった。

父は80歳、毋は73歳。養子縁組を考えていると打ち明けた時、割とすんなりと賛成してくれたけれど、そこまでして子供を持つ事も無い、と漏らしたこともある。待ちリストから3年半でいよいよ諦めかけたころも、ダメなら仕方が無いと、これまたすんなりと受け入れる様子だった。しかし、3人も子供を持ちながら、孫を一人も抱く事無くこの世を去ることを、両親は本当はとても寂しく思っていたと思う。

それでも、縁組成立した後におめでとうとは言ってくれたものの、私が何度写真を送っても、二人から「可愛い」という言葉は一切出て来なかった。昔の人だから、それこそ”養子”ということ自体に、日本の古い養子制度のイメージしか持っていない。しかも孫となる子は外国人で、写真でしか見た事が無いし、見ても私たちには似ていない。実感が沸かないのは当然だった。
しかし写真を送り続けること4ヶ月目で、始めて毋から「可愛くなったね、これまでどうしても二人の子供だという事がピンと来なかったけれど、やっと最近自分にも孫が出来たんだな、と思える様になった。」と打ち明けられた。産まれて2日目から育てていた私ですら、心から愛しいと思えるまで2ヶ月かかった。写真でしか見た事が無い血の繋がらない娘に対し、実際に会うずっと前の4ヶ月で、可愛い“孫”が出来たと思って貰えたのは早い方なのかもしれない。
私の毋は嘘はつかない。その毋がそう言ったのだから、心から可愛いと思ってくれている証拠だった。

それから毎回写真を送る度に「可愛い」と言うようになった父と毋が、始めて娘に会える私たちの帰国を、これまでになく楽しみにしてくれて、帰国中は日増しに’おじいちゃん’と’おばあちゃん’の顔になっていった。そしてもうかなり重くなった娘をとても嬉しそうに抱き、自分たちにも孫が出来た事を心から喜んでくれた。
娘が覚えていてくれる歳になるまでは、死ねないね、などと言いながら。


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