面会、キャンセルとなる

8月10日で、娘は満一ヶ月になった。
これまで殆ど目立った問題も無く順調に成長してきた。ミルクを良く飲んで、良く排泄。良く眠ってくれて、普通に泣く。
食べる、泣く、眠る、出す、が一日の仕事だけれど、目を開いて物を見ている時間も増えて来た。私のことも目で追って来るようになった。
私のことを見て笑ってくれる日が、とても楽しみである。


今日は産みの母との面会の日だった。
今日も、産みの母の姉と子供達、そして姉のパートナーも来る予定だったが、出がけ1時間程前に、ソーシャル・ワーカーからの電話で、面会がキャンセルになったことを知らされた。
産みの母が、あまり私たちを煩わせたくないので、今週は会うのを止めて、来週まで延ばしたいと言ってきたそうだ。


産みの母が少しずつ出産前の気持ちを取り戻しつつあるのかもしれないと、嬉しく感じた。
本当は会いたいのに我慢しているのは分かっているけれど、1週抜けて少しホッとした。会いたくないとか、産みの母を娘の人生から切り落とすつもりはないけれど、毎週1回の面会はさすがに少し負担に感じてはいた。特に、産みの母の姉とその家族に頻繁に会うことには、夫も私も複雑な思いがあった。

でも、こうやって面会数を多くしておいたのは、正解だったと思う。最初にソーシャル・ワーカーが言っていた様に、産みの母の気持ちが自然に落ち着くのを助け、これでお互いに良い関係を続けて行く事が出来る気がする。急に子供に会えなくなるよりも安心感を持つ事が出来たと思うし、私たちを信頼してもらえたと思うから。
娘には、産んだお母さんがどれだけ娘のことを愛していたかをちゃんと伝えてあげたい。


次の面会は来週。
その後は2週間に1度の面会予定となる。


にほんブログ村 海外生活ブログ 国際生活へ にほんブログ村 家族ブログ 養子縁組へ  人気ブログランキングへ

産みの母との面会 2

生後5週目に入った娘は、順調に成長している。
我が家に来た時にはとても大きく感じた0〜3ヶ月用のベビー服がフィットしてきた。こういうのも、あっという間に着れなくなってしまうのだろうから、ミルクやオムツ漏れで一日に何度も服を着替えるのも良しとする。
最近目を開けているときは、じっと何かを見ているようだが、いったい何を見ているのか、私のことをどのくらい見えているのか、分からない。が、そろそろ生後1ヶ月になる赤ちゃんの成長としては、身体的な発達は普通な感じではある。


一昨日は、産みの母との面会日だった。
エイジェンシーのオフィスでの面会だったが、この日はソーシャルワーカーは無しで、産みの母の姉と彼女の二人の子供達が一緒だった。
会う前に、似た感じのタイプの女性を想像していたけれど、同じ環境で成長したとは思えない程、姉の方は随分と大人で、小柄な肝っ玉母さんという印象だった。彼女には、産みの母とは異なる精神的な安定感を感じた。多分、パートナーと安定した家庭を築いているからだろう。


今回もおよそ2時間近く娘を抱き続けた産みの母だが、最後の最後まで名残惜しそうな彼女が、娘に会えなくても前に向かって自分の人生を進んで行く日は本当に来るのだろうか。
面会はフレンドリーで和やかに終わったけれど、1週間に一度のペースで会っているため、どうしてもまだ彼女の変わりに育てている、という感覚が抜けず、自分の娘なのに自分の娘ではない様な、なんとも言い難い気分。娘に、時々顔をしかめながら見つめられる度に、この子は私を本当のお母さんとは思っていないのでは? もしや、何もかも分かっている?という馬鹿げた不安に駆られる私。
そして、毎回この1週間の娘の様子を産みの母に報告する自分が、里親の様に思えてしまう。
特に、姉を”伯母さん”、子供達を”従兄弟”と娘に言っているのを目の前で聞いていると、ますますそんな気になってしまう。血の繋がりで、当然そうなのだけれど、ふと寂しい気持ちになる。そう言えば、そうだよな、と思いながらも。


それよりも、本当は、娘には愛してくれる家族が二組もあるんだと、ポジティブに捉えたい。頭では、ちゃんとそう思っているのに、魔の10日の最後の33時間以来、産みの母の存在がとても大きく重く感じるのだ。


産みの母のためにも、頑張って面会は続けて行くつもりだけれど、娘に物心がつく頃には、回数をうんと減らしたい、というのが正直なところか。


にほんブログ村 海外生活ブログ 国際生活へ にほんブログ村 家族ブログ 養子縁組へ  人気ブログランキングへ

産みの母との面会

娘が産まれて3週間経った。

産まれた時、我が家に来た時、そして3週間後の現在で顔つきも大分変わってきた。
そして、この3週間で私たちの暮らしぶりも変わった。

育て始めた最初の2週間弱は、日増しに募って行く疲労がピークになる度、こんなに疲れてもうダメ! 私には無理!と体力的な限界を感じ、精神的に弱気になってしまうこともあったけれど、ちょっと休んで気分が良くなると、再び楽しみながら世話が出来る、という繰り返しだった。
3週間目に入り、随分と体が慣れた来て限界を感じることも無くなった。
自分で産んで母乳で育てるお母さんは、昼も夜もなく起きてミルクを与えなければならないので、夜の半分は眠っていられる私は非常に恵まれていると思う。



昨日は、産みの母と赤ちゃんとの面会日だった。先週、正式に両親となって初の面会から2度目。魔の10日に入ってからすぐの特別面会から会わせてこれで3度目。
前回の緊張した面会から1週間経ち、彼女がどんな状態なのかと心配していたけれど、産みの母の機嫌は非常に良かった。

午後1時から、2時間程の面会時間で、過去の2度は赤ちゃんと産みの母二人きりにしてあげ、毋はいつも涙を流していたのに、今回は私たちとソーシャルワーカーの同席にも同意、2時間赤ちゃんを抱き続けた産みの毋は、口数も多くとても嬉しそうだった。
娘が1週間で随分と大きくなったと驚く産みの母は、先週末に掘ったばかりだという、私が付けた娘の漢字名のタトゥーを見せてくれた。子猫を飼いだしたことも、出産前に、そうしたいと言っていたことを1つ1つ実行しているようだった。
赤ちゃん変換騒動の元になった産みの父親と、またしても別れたような様子で、逆にこれから先のことを語るなど、1週間前とは打って変わって前向きになっていた。いつも彼と別れた後の方が、彼女の精神状態は良い。
私は、これまでの1週間で撮った写真を2枚彼女のためにプリントして持って行った。


次回の面会は、1週間後。
1週間おきの面会は多いと思うが、この努力が将来の私たちと産みの毋との関係、産みの母と娘の関係のために役に立つのならば、彼女の気が済むようにして行きたい。
娘のためにも、産んだ毋との関係は良いものでありたい。


にほんブログ村 海外生活ブログ 国際生活へ にほんブログ村 家族ブログ 養子縁組へ  人気ブログランキングへ

とても長い緊張の終わり

私たちの願いは、神様に届いたのかもしれない。

私は特に信仰は無いけれど、とにかくどこかにいる“神様”に向かって祈り続けた33時間。期限失効最後の1秒まで、緊張し続けた、拷問に近い時間が過ぎる。

昨日午前0時を過ぎても、電話はならなかった。


翌朝は、その前の日とは全く異なる気分だった。
朝一でエイジェンシーのソーシャルワーカーから電話が入る。
9時にオフィスに来たけれど、産みの母からの公式な養子縁組取り消し申込はなかった、おめでとう。赤ちゃんは正式にあなた達の子よ、と言われ、もう一度同じ事を確認してしまう私。
「赤ちゃんは、私たちと一緒に居られるのですね?」

余りにも緊張した時間が長かったせいか、なんだか、信じられなくて、午後、エイジェンシーのオフィスで面と向かって『おめでとう』と言ってもらえるまで、まだ何か予想しない事が起こるのではないか、と思えて仕方が無かった。


エイジェンシーには産みの母も来ていた。
オフィスに入ってすぐに聞こえて来た、産みの母の怒鳴声。私たちに対しても怒りの矛先が向かっているのか、と緊張していると、別のソーシャルワーカーが心配しないようにと優しく声をかけてくれた。養父母と赤ちゃんが、この騒動に巻き込まれない様に間に立つのも彼らの仕事なのだった。

産みの母が落ち着くまでは面会はさせない、とのことで、彼女が落ち着くのを待ってから、再び赤ちゃんと二人だけの時間を作ってあげる。幸いにも産みの母は私たちに対しては、怒ってはいないようだった。私たちに対する態度とソーシャルワーカーに対する態度ははっきりと違っていて、2人の信頼関係が壊れてしまったのは明らかだった。


その後、今後6ヶ月間に渡る面会の契約書なるものに署名。これは法的なものではないが、産みの母の精神状態が、当初予想していた以上に打撃を受けてしまっているため、彼女のためにも面会数を年間4回から、始めの1ヶ月間は毎週、その後2週間おき、という具合に、6ヶ月間の面会回数をある程度多めに決めてお互いに了解し署名しておくことで、後のトラブルを防ぐ、ということらしい。
毎週の面会は多いと思うが、彼女の気持ちを考えると仕方が無い。

産みの母の心変わりは、やはり同居しているボーイフレンドの影響だったが、暴力的な彼のおかげで赤ちゃんは産みの母にすんなりと返せないことになったわけで、我々としては妙な気持ちではある。彼がすっぱり別れていたら、産みの母も悲しみつつ心変わりしなかったかもしれないし、別れていてもし同じ様に心変わりしていていたら、私たちは娘を失っていたかもしれないのだ。
ほんの少しのことが、運命を変えてしまう。


ついに長い緊張の終わり。長い旅の終わりと、新たな旅の始まり。
昨日、私たちは正式に両親になった。


にほんブログ村 海外生活ブログ 国際生活へ にほんブログ村 家族ブログ 養子縁組へ  人気ブログランキングへ

津波の衝撃

『魔の10日』9日目。
先週の最初の波が過ぎた後、再び波は来るかもしれないが、少しずつ小さくなっていくのだろうと思っていたけれど、今度のは津波だった。


その電話がなったのは、『魔の10日』も残すところ1日と10時間、私はとても疲れていていて、昼寝をしようとしたときだった。
電話に出た夫の声で、相手はソーシャルワーカー、しかも良くない知らせである事はすぐに感じ取る事ができた。肉体的に疲れて寝たいのに、私の心臓の鼓動はどんどん激しくなる。

産みの母が再び赤ちゃんを返して欲しいと言って来た。
前回のように、取り戻せないのは分かっているけれど、一目会いたいというのとは異なり、今度は本格的にかなり攻撃的に返して欲しがっているようだった。
本来ならば、まだ有効期限内なので、そう言われたらどんなに悲しくても、どんなに辛くても”娘”は手放さなければならない。
しかし、妊娠中に産みの母に暴力をふるった、赤ちゃんの父親であるボーイフレンドと産みの母が、どうやらこの1週間で寄りを戻していたらしい。この暴力事件のため、ソーシャルワーカーとしては、『はい、どうぞ』と赤ちゃんを返す事は出来ず、児童福祉施設へ連絡する、と伝えたところ、産みの母逆上。
「裏切り者」と、ソーシャルワーカーをかなり激しくののしった後「ファック・オフ!」と言って電話を切ったという。


一晩経った現在、まだ何も連絡は無いが、産みの母の動きに寄って、児童福祉施設へ連絡しなければならない場合、今回の養子縁組は取り消され、赤ちゃんは産みの母の元へ戻るが、児童福祉施設の職員が審査した結果、子供にとって望ましくない環境であると判断された場合赤ちゃんは里親に出される。
その後私たちが再び養子縁組の手続きを始めからやり直す、という形になるらしい。
ただし、児童福祉施設が問題無しと判断した場合は、この子とはお別れということになってしまう。
私たちには成す術も無い事は分かっていたけれど、暴力沙汰で病院へ運ばれた時、警察に通報しなかったのが、私たちにとって悔やまれる結果になってしまうかもしれない。


先週の衝撃よりも強い衝撃。
先週の面談も、その後のメッセージも、あんなにポジティブで前向きに終える事が出来たのに、あんなに美しい顔を見せてくれたのに、この1週間でいったい何があったのか、辛いのはわかるけれど、そこまで産みの母が豹変してしまった理由がわからない。
これまであんなに現実的だったのに、自分が育てようとすれば、きっと最終的に里親に出されてしまう、そのことを誰よりも恐れていたのに。

産みの親とは良い関係で行けそうだったのに、彼女の中で突然、養子縁組エイジェンシーは『敵』、私たちは赤ちゃんを奪った夫婦という図式が出来てしまったような気がする。
ソーシャルワーカーの話では、赤ちゃんの父親であるボーイフレンドの影響ではないか、という。ずっと関係が不安定だったのが、出産後一度は縁を切ったものの、やはり彼女を愛していると優しくして、いつも家に居る様になったようだ。それで、元々赤ちゃんには全く興味が無かったのに、悲しむ彼女を見て、一緒に育てようと言ったのだろう。



このまま電話がならないで欲しい。電話が恐い。朝から心臓がドキドキで、気分がすぐれないまま。時間が経つのが急に遅くなったように感じる。
これが最後かもしれない、と思いながら“娘”のオムツを替え、ミルクをあげ、抱いている。

取り消し猶予期間の失効まで、あと12時間。
神様、どうかこの子を私たちから連れ去らないで...

にほんブログ村 海外生活ブログ 国際生活へ にほんブログ村 家族ブログ 養子縁組へ  人気ブログランキングへ

初めての子育て

早いもので、今日で“娘”が産まれて11日、我が家に来てから9日目。
病院で初めて会った時から比べ、顔の雰囲気も大分変わって来たし、食欲も旺盛で随分と大きくなったと感じる。

この9日間、義理姉のアドバイスと本を頼りに、初めての子育てを夫と二人で手探りでやって来た。分からなくて間違ったこともしてしまったし、オムツ替えも何度も失敗(替えた瞬間にまだ出たりで一度に4つのオムツを消費してしまったり)。今もまだ上手く行かない時もあるし、分からないことだらけだけれど、私たちも少しずつ学んでいる。


生後3日目で我が家に来た時には、おくるみでトルティーヤのようにしっかりと巻いてあげないと泣いていたのに、2、3日で手足を大分動かす様になり、おくるみはあっという間に卒業。

最初は上に組んでいた足も、最近はしっかりと両側に広げて両手を上に上げた典型的赤ちゃんポーズで寝ている。蹴り足、掴み手ともにとても強くなった。

ミルクはほぼ正確に3時間おきにねだる。夜はシフトを作って夫と私で交代で授乳。問題は授乳後のゲップ。出るまで時間がかかるし、空気を相当飲み込んでいるのか、授乳後毎回とても苦しんでいる。乳首を4種類変えて試してみたけれど、どれもあまり変わらない結果。もう少し大きくなったら、ゲップも上手く出来る様になるのだろうか。

粉ミルクだけで育つこの子は、本物の乳首の感触も母乳の味も知らない。それでも毎回お腹が空いた時に抱くと、私の乳首を探して吸い付こうとする姿に、申し訳ないと思う私。
「ごめんね、おっぱいは出ないのよ。」
母乳を与えない事で、肌と肌の触れ合う機会も圧倒的に少なくなるので、いつも側に居て、出来る限り抱いてあげる様にしている。


最近ようやく目を良く開く様になったが、まだとても眩しそうにしている。モノはあまり見えていないようで、何か見せても強い反応はない。それでも数日前まで眼球が上に上がったり妙な動きをしていたのが、今はちゃんと何かを見ようとしているようだ。
視力はまだだが、聞いていた通り音には私や夫の声は分かっているように感じる。


子育ては楽しい。体験した誰もが言う様に、寝不足で辛いけれど楽しい。こんなに楽しく思うなんて、自分でも驚きなのだが、“娘”の世話をしている時、とても幸せを感じる。長い長い間この時を待っていたから、余計そう思うのだろうか。もともと嫌いだった赤ちゃんの泣き声すら、この子のは気にならないし、可愛いとさえ思う。
私にも母性があったんだな、と実感する日々。

ただし、まだ“自分の子”を育てているという感覚や、絶対的な子供への愛情、強い絆というものが感じられない。そのことが少々不安ではあるが、実際に産んだお母さんでもすぐにはそのような感情を持てないと聞くし、絶対的な愛情の確立に、最初の1年の半分の期間を要するという話もあるので、養子であるこの子への現在の私の感情は、少なくとも自然な状態なのかもしれない。


その後産みの母からの連絡は無い。
彼女は何かが吹っ切れたのだろう。あの面会の後、ソーシャルワーカーが撮影した彼女の顔写真は、これまで会った中で最も美しく、もう後ろは振り返らずに前を向いて生きて行こうという決意と、妊娠・出産、別離を通して成長し大人の女性となった顔だった。カメラに向かって微笑む彼女は、2ヶ月前に初めて会った時とは全然違う、何かとても感動的な姿だった。


養子縁組取り消し失効まで、あと2日半。

にほんブログ村 海外生活ブログ 国際生活へ にほんブログ村 家族ブログ 養子縁組へ  人気ブログランキングへ

苦しむ産みの母

養子縁組は感情のジェットコースター。


「魔の10日」2日目が終わりに近づいてきた一昨日の晩、エイジェンシーの担当ソーシャルワーカーから電話。産みの母が赤ちゃんを返して欲しいとメールした来たけれど、何度かのメールでのやり取りの後、赤ちゃんを取り戻せないのは分かっているけれど、どうしても一目会いたいので、面会を設定して欲しいという事になったとの連絡。

12日以来喜びと同時に10日間が過ぎるのを緊張しながら過ごしている私たちだったが、最初の10日はコンタクトを取りたくない、と自ら言っていて、あれだけ決意が固かった産みの母が、こんなに早く”赤ちゃんを返して欲しい”と言って来るとは予想外だった。
ショックと、同時にこの子を早くも失うかもしれないという恐怖、幸せの絶頂から突然突き落とされたような衝撃で、胃の具合が悪くなった。


ソーシャルワーカーの説明によると、これは最悪の状態ではなく、過去にもあったことだそうだ。産みの母が心の痛みに耐えかねている、自分が、産んだ子の人生から切り離されてしまうことを恐れている、そして一目会う事で彼女の心は軽くなるはずだという。
長い会話の後、昨日の12時、エイジェンシーのオフィスでの面会を承諾。しかし私は、逆に会う事でますます手放したくない思いが募るのではないかと心配でたまらなかった。

それと同時に、たった2日間共に過ごしただけのこの子を失うかも知れないと思うだけで、私がこんなにも悲しく思うのならば、39週お腹の中で育て、2日間病室で過ごした産んだ母親は、どんなに胸が張り裂ける思いでいることだろう、私の悲しみよりも産みの母の苦しみの方が余程大きいことは歴然としていた。


午後12時、約束の時間にエイジェンシーへ向かう。
泣きはらした顔の産みの母の目は、入室と同時に赤ちゃんへ。
二人きりの時間を作ってあげるため、私たちとソーシャルワーカーは退室。ソーシャルワーカーから、一足先に行なった産みの母との面談での会話の内容などを聞かさせる。
出産後、ホルモンの変化で強い母性が芽生えた産みの母は、とにかく今感情的になっているため、この時期を乗り越えるため強いサポートが必要な事、そのサポートには私たちも含まれている事、サポートの1つとして、こうして赤ちゃんとの面会の機会を作ってあげるのは、逆に彼女の心を鎮め、物事を落ち着いて考える事が出来るようになる、とのことだった。


およそ1時間後、産みの母が赤ちゃんを抱いて私たちの控えていた部屋にやってきた。
ソーシャルワーカーが、少し楽になったかと尋ねると、小さくうなずく産みの母。赤ちゃんを抱いている間中涙を流していた彼女は、私たちの家で撮った赤ちゃんの写真と、病院で着せていた、赤ちゃんの匂いの付いた毛布や服を受け取り、号泣しながら部屋を後にした。


その晩、産みの母からメールが届いた。
「今日はどうもありがとう。おかげで大分気持ちが楽になった。あなた達ならしっかり育ててくれると分かって安心した。」

そして今朝、エイジェンシーのソーシャルワーカーから電話。
あの後再び話し合いをし、産みの母の痛みが少し和らいだ事、こんなに早く赤ちゃんに会わせてくれて感謝していること、そして私たち二人から、赤ちゃんを取り戻すことなど出来ない、と言っていたことを伝えてくれた。
私たちの担当のソーシャルワーカーも、若い時に子供を養子に出した経験があるだけに、本当に産みの母の気持ちが良くわかり、彼女の支えになってくれている。そして、自らの体験も含めて、「魔の10日」の中でも最も危険な期間はなんとか過ぎだだろうとのことだった。

波はまた来るかもしれない。でも、徐々に小さくなっていくのだろう。
取り消し期間の失効まであと6日半。


にほんブログ村 海外生活ブログ 国際生活へ にほんブログ村 家族ブログ 養子縁組へ  人気ブログランキングへ