産みの母と息子への思い

昨日今回の話を断って以来、なんとなくホッとしている。
もしかすると、マッチングの話がもう来ないかもしれないという不安も多少あるけれど、最初から疑問を持ったまま1人の人間を育てるよりは、子供を持たないまま人生を送った方が良いのかもしれない。


あの子を養子に迎えないことに決めたことは後悔していないのだけれど、今でも2人の今後がとても気になっている。
面談の時、産みの母は自分の生い立ちを涙をこらえながら語ってくれた。初めて会う私たちにあんなに心を開いてくれたのは驚きだった。
子供を妊娠するまでのたった13年の間に、私の想像を遥かに越えた辛い人生を送って来た彼女の、『この子には、自分が得ることが出来なかった人生を与えてあげたい。自分は今幸せではないし、若過ぎてそれが出来ない』という言葉がずっと忘れられずにいる。彼女が得ることが出来なかった人生。それは、仲の良いお母さんとお父さんが居て、暖かい家があって、普通に平和に日常を送る人生だ。そんな”普通”とされることを、目の前に居るこの16歳の少女は体験したことがないのだ。 
親に愛されたことが無く、住む場所を1人転々とし、同じ年頃の女の子とも良い関係を作れないけれど、本当は愛されたいという思いが話の中からひしひしと伝わって来た。話を聞いているうちに、私はまるで自分が彼女のカウンセラーにでもなったような気がした。彼女の子供もそうだけれど、まずはこの娘を助けてあげたいとさえ思った。
実際は私には何が出来るかわからないけれど、もし彼女の子供と縁組をしたら、彼女も家族の一員としてその後の人生の心の支えになってあげたいと、あの時本気で思った。


私が16歳のとき、私の母は今の私の年齢である43歳だった。目の前に居るこの産みの毋が、私の娘であるといってもおかしく無いのだ。そう思うと妙な気分だった。
結局カウンセラーでもフォスターファミリーでもソーシャルワーカーでもない私たちには荷が重過ぎたのかもしれない。あまりにも期待されてしまったことも辛かった。
この娘を助けてあげたいと思う気持ちは嘘ではないけれど、私たちはただ無理の無い状態で自分たちに可能な限り良い親になりたい、と願っているだけなのだ。


彼女の手首には、タバコの焼き痕が沢山ついていた。
悲しいとき、苦しいとき、怒りを感じたとき、彼女は多分息子や周りの誰かを傷つけるのではなく、自分の手首にタバコの火を押し付けて、心の痛みを肉体的な痛みに置き換えているのだろう。タバコを吸い始めたのは子供を産んだ後だというので、あの焼き痕は息子に手を挙げないために始めたことかもしれない。
子育てはかなり限界に達しているようで、自分の怒りや感情をコントロール出来なくなり、息子を傷つけてしまいそうで怖い、と言っていた。


私たちが断ったというニュースを聞いて、また1人でタバコの火を手首に押し当てているのではないかと想像すると、私の胸はとても痛い。
彼女の第2候補の夫婦が、彼女の息子に与えたい人生を迷うこと無く与えてあげられる夫婦であることを心から祈っている。彼女と息子の今後を聞くことは2度と無いけれど、二人のことは決して忘れることは無いだろう。
どうか、二人が望む幸せを掴むことが出来ますように。


にほんブログ村 海外生活ブログ 国際生活へ にほんブログ村 家族ブログ 養子縁組へ  人気ブログランキングへ