猫と人は違うけれど

義理の姪は猫が好き。
昨年末から自宅のたたきの下に住み着いた子猫を世話してとても可愛がっていたのだけど、子猫は決して慣れる事無く、春の訪れと共に姿を消してしまった。
それ以来、姪の猫を飼うという思いはますます強くなり、生まれたての子猫を農家から貰って来るんだと言っていた。
しかし猫探しをするにつれ、子猫は貰い手がすぐに見つかるけれど、保護された大人の猫は貰ってくれる家族がなかなか現れてくれないという事実を知り、姪は『子猫じゃなくて、自分は大人の猫を飼う事にした。』という。
彼女は9歳になったばかり。
このくらいの年齢なら、自分が欲しいと思っていた子猫じゃなくてはいやだ、と言う子は結構多いのではないだろうか?
自分が欲しかった子猫ではなく、可哀想な大人の猫を飼いたいとはっきりと言える義理の姪に、私はとても心打たれた。


そしてその時、そういえば人間でも赤ちゃんは人気だけれど、大きくなった子供の養子縁組は非常に難しかったな、と思い出した。
人は猫と違う。
すでに言葉を発し、自我の芽生えつつある2歳以上の子を、初めての子供として迎える自信が私には無い。
夫も同様で、自分たちの能力以上のことは出来ないという。
出来る限り産まれたてに近い赤ちゃんを望む事は、自然な感情であると思っている。
自分の能力に見合った養子縁組をしなければ、本当にその子を幸せには出来ない。
それでも、なかなか家族になってくれる人が現れない年齢の上の子を養子縁組したいと思わない自分は、なんだかんだとここで書いていても結局は勝手な人間だな、と思う。
妙な罪悪感に取り付かれてしまった私。
自分の進む方向を変えようとは思っていないのに、葛藤する。


人の子だからこそ、猫のように安易には受け入れる事が出来ない。そんなこと分かっているのに、なんでこんな複雑な気持ちになってしまうのか。



今日は最近の姪の猫の話以来どうも心に引っかかってしまっていることを綴ってみました。
ここで吐いたら、明日からは気持ちを新たにやっていけるかな、なんて。

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