産みの母の苦しみ

昨日詳しくは書かなかったけれど、2日間の国内養子縁組ワークショップで本当は目から鱗だった事。

ワークショップに行くまでは、産みの母の存在を煩わしいものと思っていた私。煩わしいというのは、自分が産んだ子供であれば母は私だけなのに、母が2人居るというどうしようもなく避けられない事実、切っても切れない縁というものに底知れない不安があったから。

しかしワークショップに参加してそれが変わったのは、彼女たちを1人の母として、人間としてとらえることが出来たから。
おかしなもので、人間は見えない相手の気持ちを知らないままだと、その相手に対する感情移入が恐ろしく低くなり、同じ感情を持った人間としてとらえにくくなってしまうのだ、という事に気がついた。


これは通常の、新生児を望む養子縁組の話。
産みの母は、自分の子供が不必要でいらないから、ただ育てられないからというだけで養子に出すのではなく、その子の事を心から愛し、将来を考えて養子に出している。もし、自分がどうにも育てられない環境にも関わらず、子供が愛しいからという理由だけで手元に置いておくとしたら、それは親の自分勝手で、本当に子供の将来の事を考えていないから。
母は病院で子供を産んだ後に与えられた、たった数時間、または数日のふれあいのみで、子供を手放さなくてはならない。
その時の母の気持ちは、私のように子供を実際に産んだ事の無い人間には、絶対に分からないのかもしれない。
しかし、話を聞き、ドキュメンタリーを見たことで、例えそれが10代の母であっても、自分の産んだ子供を手放さなくてはならない瞬間がどれだけ辛いものなのかということが分かった。そして彼女たちを尊重する気持ちが芽生えたとき、私の中で根強くあった産みの母の関わりについての不安は、まるで潮が引くようにすっと遠ざかっていった。
中には産んだ子の顔も見たくないという母もいるらしいが、それは憎いのではなく、顔を見てしまったら手放す決心が緩んでしまうと思うからだろう。

全ての産みの母が全く同じように感じている、とは思わない。しかし、何百人もの養子縁組を執り行ってきたエージェントの人が言うのだから、彼女たちのほとんどが同様の苦しみを味わうのだろう。
養父母が新生児を迎えに病院に行った時に、土壇場で養子縁組をキャンセルしてしまう母が時折居るそうだが、それだけ我が子を手放すのは辛いということ。

そうしてまで養父母となる人間を選び、託すのだから、譲り受けたこの子を誰よりも幸せにしようという気持ちになる。
自分の子としてのみならず、この子を産んでくれた母のためにも。


病院を去る日、2組のうちどちらかは必ず空の腕で帰宅しなければならない。
大抵は産みの母。そして時には養父母。
どちらのケースも同様に傷つくのだということをお互いに知る事で、お互いに優しくなれるのかもしれない。


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