7ヶ月を過ぎて

2月に入り、娘が7ヶ月になった。
6ヶ月になってから始めた離乳食も2ヶ月目に入り、いつの間にか嫌いだった野菜も食べる様になり、今は一日2食、出す物は全て食べてくれる。最近ではスプーンを見ると大きな口を開けて喜んで食べる。もぐもぐと口を動かしている姿に、この分なら次のステップアップも上手く行きそうだなと思う。

そして、いつの間にか笑い方も変わっているのに気がついた。以前みたいにこちらが笑顔を見せると必ず笑顔で返すのではなく、娘の機嫌の良い時や本当に楽しいと感じた時だけ笑顔を見せる様になった。反応してではなく、選択して笑っているようだ。

更に甘えぐずりも増えた。一人で大人しく遊んでいても、私の姿を見ると途端にぐずる。私に抱っこして欲しくてぐずるが、忙しくてほうって置くとすぐに諦めてまた遊びに戻るあたり、こちらがどう反応するのか試しているかの様だ。

今はパパとママが全てで、大好きという態度が全身に現れていて、それを受け取る私たちは、この上ない幸せを感じ、信頼されているという喜びと共に娘の事をより一層可愛いと思うようになった。
他人の産んだ子であることや、血縁が無いということは全く気になることではなく、私の娘として心から愛しく感じる。


先月、娘が我が家に来てから始めて、産みの母からのコンタクトが無かった。
8月から12月まで毎月会いたいと連絡してきたのが、12月に自宅に招いて以来音沙汰が無い。音沙汰が無いまま2月も半ばになった。
あの日12月の末に、自宅に招待し娘の部屋を見せた事で、何か彼女の中で吹っ切れる物があったのかもしれない。心から安心し、ようやく本気で前を向いて歩みだしたのだろうか。
これまで毎月会っていたので、なんだか連絡が無いとちょっと心配してしまうし、寂しいくらいだが、もし清々しく前向きに歩んでいるのなら、私たちも嬉しい。そして、自宅へ招いた事がそのきっかけとなったのであれば、来てもらって本当に良かったと思う。


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なかなか辿りつけない

養子縁組、裁判所での最終決定が出ないまま、1月が終わってしまった。魔の10日が終わってから正式手続きに入り、決定はそれからおよそ6ヶ月である1月半ば、と伝えられていたのに。
1月の終わりにエイジェンシーに問い合わせると、エイジェンシーと裁判所でのやり取りが長引いているだけで、心配しない様にとのこと。なんでそんなに長く時間がかかるのか?最後の書類にサインを入れたのは10月半ばで、無犯罪証明書も同時期に提出していたのに。エイジェンシーが養子縁組正式申請のパッケージを提出するだけではないんだろうか?

私は、魔の10日が過ぎて正式に親となったら、もう最終決定までは何も心配しなくても良いのだと思っていた。しかし、人の話では最終判決が降りるまでは、産みの親、又は第3者が異議を申し立てる可能性は0では無いらしい。産みの母のことは、最後の面会の後の彼女の言葉で心配はしていなかったが、これまでノータッチだった父親が、急に気が変わって娘を育てたいと言いだすことを想像したりして、最近ふとに不安感に襲われることもあった。
例えそのようなことがあったとしても、家庭内暴力の事実があるため、多分私たちが娘を失う事はないだろうけれど、心配性な私は嫌なことを考え過ぎてしまう。


そんなもやもやと心配していたところ、先週の終わりついにエイジェンシーから厚ぼったい封書が届いた。やった!最終決定が出たのだ!と喜んで封筒を開けると、中身はエイジェンシーがまとめて裁判所に提出した養子縁組申請のパッケージの正式コピーだった。
裁判所への提出日は1月31日となっている。これは、私たちがエイジェンシーへ問い合わせた翌日の日付で、もしかして、ずっと忘れていて、私たちに言われてハッと思い出して提出したのかもしれない。しっかりしてくれ〜!!


そして、パッケージのカバーレターを読んで少々気落ちした。
まず、このパッケージは法律により州のチャイルド・サービスと、産みの両親にも送られるが、異議申し立て書が添付してあった。この書類が手元に届いてから、10日以内に産みの両親、または別の第3者が異議申し立てをした場合、その後裁判所の指定日に公聴会が行われるらしい。ただ、幸運にも産みの両親は、弁護士の前で”裁判所へのパッケージを受け取りたくない”という欄に印を入れた共同保護者同意書にサインをしているため、二人ともこのパッケージは受け取らないことになっている。異議を唱えるとしたらチャイルド・サービスの人だが、今回は彼らは関わっていないため、考え難い。なので、異議申し立てが出されることは無いと思うが、いずれにしてもまずは封書が届いてから10日待たなければならない。
そして、10日過ぎた後、最終決定が降りるまで1〜2週間、と書かれてあった。
という事は、どう考えても最終決定は早くて2月末、遅ければ3月だ。我々の手元に正式決定が届くには更に日にちがかかるだろう。1月半ばと言っていたのに、これはかなりがっかりである。

更にパッケージを読み進めて行くと、娘を引き取ってからの報告書の中の1ページが抜けていることも発覚。ページ数は正しいのに、2ページから3ページへの文章が続いておらず、後に続く文章から、推薦人の一人目について書かれた部分が抜けているのが分かった。ページ数は正しいので、多分コンピュータで作業中にその部分だけ謝って消してしまい、それに気がつかないままプリントアウトしたのだろう。
この文章が抜けたままのパッケージは、裁判所はもちろんのこと、チャイルド・サービスの方にも既に送られているはず。やっと!と思ったのに、なんでまたこんなミス。これのせいで更に遅れが出る様な気がしてならない。


1月でようやく全てが終わると思っていたのに。すぐそこにあって掴めそうなのに掴めないもどかしさ、またはもう近くまで見えている岸の向こう側にどうしても辿り着けない、もう本当に後一歩なのに、なかなか届かない、そんな気分。
家族としての生活は順調で、日頃は忘れているくらいの事だけれど、書類上の娘の姓が変わり“共同”ではなく、夫婦で親として“単独”で親権を持つ保護者になる日がなかなか来てくれないのがじれったい。


二人目のことを考える時間だけは、長くなった。

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二人目、どうする?

昨年、養子縁組の最終決定へ向けての最後の面談の時、書類手続きを行うよりもまず最初にソーシャル・ワーカーが開口一番に尋ねた意外な一言。
『またここへ戻ってきますか?』
またここ(エイジェンシー)に戻るとは、二人目の養子縁組をするか?ということ。

その時、私はまだ子育てを始めて4ヶ月で、申し込んでから待った時間の長さと、やっと夢が叶ったという興奮状態も覚めておらず、魔の10日のストレスの疲労も引きずっていて、正直”では、二人目を”という気分ではなかった。特に、またあの苦しい10日を体験しなくてはならないのか、と思うと余計に意気消沈した。
しかし、私たちの年齢では、”では少し間を空けて、と悠長に考える余裕も無いのも分かっていた。もう年をとり過ぎていると言うと、ソーシャル・ワーカーは、年齢は関係無いと言う。産みの親に選ばれる確立は低くなるかもしれないが、十分可能だと。すでに子供が居るので逆にこれまでよりも選ばれ易いということはあるのかと尋ねると、それは五分五分で、自分の子を最初の養子にしたい産みの親もいれば、兄弟姉妹の居る家を望む親も居るのでどちらとも言えないと言った。

また3年とか待つのは長過ぎるので、とりあえず申請だけして、そのつど支払いもし、自分たちで引いた限界の年齢に達したら辞退するというのは、どうなのか。何千ドルも無駄になるけれど、“今”申し込まないで後からやっぱり申し込めば良かった、となるよりは良いのでは? しかしソーシャル・ワーカーはそのような“とりあえず”的な申込にはあまりポジティブな反応を示さなかった。

私はもともと子供を持つなら二人欲しいと思っていた。養子でも出来たら二人。夫も出来れば二人欲しいと思っていたと思う。でも、一人目の興奮が覚めやらない中、やはり自分たちの中では年齢がネックになって、『はい、戻ってきます!』とすぐには答える事が出来なかった。そして、はっきり答えられないまま次の申込が開始出来るという裁判所での最終決定が出てから決めようと先延ばしにし、申請書だけ受け取って帰った。


あれからずっと考えていた。時間が経つにつれ初心に返り、やはり二人居たらいいなと思う様になった。
年寄りの親だからこそ、先のことを考えると娘に兄弟か姉妹が居た方が良いのではないかと思うのだ。

義理の家族に話すと、これまた年齢は関係ない、兄弟姉妹は居た方が良い、一人も二人も大変さはあまり変わらないと、薦められて夫も一瞬その気になったようだが、最近は二人目の事には一切触れない。二人は現実的に難しく、娘が可愛くて、娘一人で十分と思っているようだ。話さないということは、夫の中では養子縁組は一人で終了しているのだろう。
私の方が誘惑されて、二人目欲しいと思う気持ちが強くなってしまった。


結局はっきりと決められないまま年が明け、もうすぐ1月が終わろうとしている。
今月半ばに予定されていた最終決定はまだ出ていないが、どうするのか決めなくてはならない日が近づいて来た。



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満6ヶ月

なかなかブログを書けないままどんどん日が過ぎ、もうどちらかというと7ヶ月の誕生日が近づきつつありますが、これまでの6ヶ月を簡単にまとめてみました。


1月10日、娘は満6ヶ月の誕生日を迎えた。
元気にミルクを良く飲み良く眠る娘は、発育・発達共に良好、最初の2ヶ月ちょっとの寝不足以外、私たちを困らせる事が殆ど無いまま順調に成長している。
やっとここまで来たなあという思いと同時に、あっという間だったなとも思う。
時間が経つのはあっという間だけれど、娘が我が家に来たばかりの夏を振り返ると、なんだか随分前の事の様で、懐かしささえ感じる。


目も開いていなくて一日眠ってばかりいて、24時間の間、タイマーの様にぴったりと3時間置きにミルクを欲しがって泣いていた最初のひと月。
片腕に乗せる事が出来たくらい、今よりもずっと小さくて、おくるみの中ですやすやと眠っていた娘。寝不足でフラフラになりながら、眠る、泣く、の2つの表情しか見せない娘の世話をし、目を開けて私を見てくれる日を毎日楽しみにしていた。
まだ親子としての絆が確立してなくて、産みの母にそっくりだなと思うばかりで我が子としての愛情を感じないまま、ただただ大切に育てなくてはと思い続けて世話をした。でも、家族が出来たという喜びだけは確かだった。


娘の目が開いたものの、見せる表情は、眠る、泣く、そして何が気に入らないのか、しかめ面。6週目くらいで笑うよと周りから言われていたのに、全然笑ってくれない2ヶ月目。
年中見せる不機嫌顔に、自分が本当の母親でないと気がついているのでは?などと不安になりながら、毎日、今日こそは今日こそはと娘の笑顔を見る日が待ち遠しかった。
2ヶ月目の終わりに暗闇の中で見た、ミルクを欲しがる娘の無垢な瞳に、初めて心から愛しいと感じた。親子の絆が完成した瞬間と同じ頃、娘が初めて笑顔を見せた。


3ヶ月目に入って、眠る、泣く、不機嫌顔に、笑顔がプラス。子育てがより一層楽しいと感じ始める。
夜の授乳間隔が4、5時間と延び、時折6、7時間も眠ってくれるようになり、3ヶ月目には寝不足からは随分と解放された。ミルクは毎回1滴も残さず、きっちりと飲み干す娘。
起きている時には大抵ぐずっていたのが、一人で声を出しておしゃべりしたり、ぶら下がっているオモチャに興味を示す様になったのも3ヶ月目。
なんだか随分と人間らしくなったなあ、と感じたのもこの頃。


ひたすら笑顔、沢山おしゃべり、そしてぐっと活発になって急激に大きくなった4ヶ月目。まだ寝返りも出来ないし、支えが無いと座れないけれど、首は大分座って来た。呼びかけると笑顔で反応してくれる娘が可愛くて仕方が無い。
私たちの睡眠時間への周りの心配をよそに、娘は8時間から10時間とほぼ夜を通して眠ってくれるようになり、寝不足からは完全に解放。娘なりの生活リズムも出来てきたようで、朝起きる時間、昼間のミルクの時間、ミルクとミルクの間の活動、寝る時間が一定。180mlのミルクを、一日にきっちり5本飲み干す。
ママとパパを他人と見分ける事も完璧で、私への甘えも見せて可愛さも倍増。産みの母と瓜二つだと思っていた顔つきも徐々に変わり、娘を見ては彼女を思い出すことも、最初に比べて少なくなった。
そして4ヶ月目の終わり、娘が初めて声を出して笑った。もうこの子無しの生活なんて、あり得ない。


5ヶ月目、娘が初めて寝返りを打った。感動的だった。
腹這い運動は嫌いで、泣いてばかりいるのであまりさせて来なかったから、寝返りを打つのももう少し後かと思っていた矢先だった。ほんの数週間前まで、頭を上げるのもやっとだったのに、いつの間にやら胸まで上げていたり、赤ちゃんの1週間は大人の何倍も大きな変化なのだ、と改めて思わされる。
歯茎の下で歯が成長しはじめている様子も伺えるが、まだあまりぐずる事も無く、夜は完全に熟睡。12時間、通しで眠ってくれる。ミルクの間に昼寝をそれぞれ1時間程、合計で一日15〜16時間は眠っているようだ。
これまで見ているだけだったオモチャも、手で触れて遊ぶようになった。


そして、生後6ヶ月。
6ヶ月になったばかりの時にはまだ支えが必要だったお座り、まだかな、と思っていたら2、3日後にはちょっとふらつきながらも一人で座って遊べる様になった。オモチャにも積極的に手を伸ばして遊んでいる。掴んだ物は全て口へ。
名前を呼ぶと振り向き、笑顔を返してくれる。機嫌が良ければ声をたてて喜ぶ。
6ヶ月は大きな節目。夜は自分の部屋で一人で寝てもらう。少々心配していたが、殆ど苦労も無く、初日からすんなりと一人で寝てくれた。
下の前歯も2本出て来て、離乳食も開始。今週で3週間目で、おかゆと魚は喜んで食べるものの、野菜を嫌がっている。しかし一度口に入れた食べ物は、嫌でも決して外へ吐き出さないところを見ると、時間をかけてゆっくり慣れれば好きになってくれるのかもしれない。離乳食開始2、3日で、ミルクとミルクの間が延び、それまで5本だったミルクが4本へと減った。
6ヶ月になり、泣き方やぐずり方に、自分の思う様にならないといういら立ち、疲れたとか退屈だとか抱っこしてとかの主張を感じるようになった。



娘がどんどん成長して行く。
両手を上げて抱き上げて欲しがる様子を見る度に、毋である喜びを感じる。
娘を抱き上げてきゅっと抱きしめる時、この子に出会えて本当に良かったと思う。


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産みの母との面会 5

昨年末、産みの母との面会があった。
11月に一度、産みの母の仕事が終わった後レストランでディナーを兼ねての面会を設定したが、娘の2度目の予防接種の日と重なったせいもあってか、レストランに着いた途端に娘が泣き始め、段々酷くなってその場に居る事ができなくなり、そのまま面会はお開きとなってしまった。
なので、ゆっくり会うのはとても久しぶりだった。

4ヶ月を過ぎてから、娘は早くも規則正しい生活習慣が身に付いて来たのか、夜はミルクそしてベッドと行きたいらしく、夕方から出かけたりすると機嫌が悪くなるようになった。11月の面会の時にはまだそのことに気がついていなかったが、どうもパターンが見えて来たので、今回の面会は週末の昼間に設定した。そして、クリスマス休暇中に娘の部屋がやっと整ったので、始めて私たちの家に招待することにした。


日曜日の朝、夫が迎えに行き、午前10時に産みの母到着。
出産後そろそろ6ヶ月になるせいか、毎日の長時間肉体労働のせいか、随分と体重が落ちてほっそりとしていたが、とても元気そうだった。
到着後、丁度昼寝から目を覚ました娘を抱かせてあげると、産みの母に抱かれた娘は、始めとても不安そうに私を見てから少し泣いたけれど、すぐに泣き止んだ。最近、私たち以外の人に抱かれると、とても不安そうにして泣いてしまうので、やはり比較的機嫌の良い午前中、しかも見慣れた環境である自宅を選んだのは正解だった。

産みの母が娘を抱いている間、旅行の話やこれまでと最近の娘の様子など話し、雑談をし、その後娘が出来る様になった寝返りを披露したりして、最後にずっと前から見たがっていた娘の部屋を見せてあげて、およそ1時間半程で面会は終了した。
自宅に招待してくれてありがとう、と産みの母は言って家を後にした。


夫が送って行く帰りの車の中で、産みの母は自宅に招待してくれた事に改めてお礼を言い、娘の部屋を見せてくれてとても感謝していると言ったらしい。ずっとずっと、娘の部屋はどんなのか、どんな家で育てられているのか、気になっていたけれど、見る事が出来てとても安心した、と。そして、時間が経つに連れ、自分が娘を育てるなんて、とても無理だったと気がついた、と打ち明けたそうだ。更に、養子縁組エージェンシーから受け取った養父母候補のファイルは、全て何度もくまなく見たけれど、どう考えても私たち夫婦がベストで、選んで本当に良かった、と言ってくれたのだそうだ。
それを聞いて、私もとても嬉しかった。


私よりも当たりや口調がソフトな夫は、職業柄若い子慣れしていて安心感があるのか、彼女は夫の方により心を開いているようだ。私の居るところで話してくれなかったのは少し残念に感じたが、2対1より1対1の方が話し易いと思うし、私たちのどちらか一人が彼女にとって安心して心を開けるのであれば、それで良い。



次の面会予定は、まだ未定。


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2014、新年のご挨拶

明けましておめでとうございます。

12月もあれよあれよと過ぎ去って、あっという間に新しい年を迎えました。
昨年、2013年は私たち夫婦にとって、結婚以来最も記念すべき年となりました。

夫が寂しいと漏らしたクリスマスから4年、3人家族になって初めてのクリスマスは特別なものだったし、3人で迎えた今日の新年も、心から幸せと平和を感じる一日でした。長い時間がかかったし、ここまで来るのに落ち込んだり開き直ったり諦めようと思ったり、また辛い期間もありましたが、なんとか乗り越え、諦めずに望みを完全に捨てる事無く待ち続けて本当に良かったと思います。『時間はかかっても、いつか必ず出会える』という、エイジェンシーのソーシャルワーカーに言われた言葉を、ずっとお守りの様に心に留めて待ち続けました。
娘と出会えた事、運命だなと思うし、遅くなったのにはそれなりの理由があったんだなとさえ思えるのです。


早いもので、娘ももうじき満6ヶ月。ミルクを良く飲み良く眠り、すくすくと元気に育っています。朝起きた時に娘の顔を覗き込むとニコッと笑ってくれるのが、一日の始まりにエネルギーを貰っている気分になります。生き甲斐を感じるのです。



またぼちぼちのアップになってしまうかもしれませんが、今年もどうぞ宜しくお願い致します。
今、出会いを待っている方にも、今年は良いご縁がありますように。


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初めての海外渡航

11月、養子縁組最終決定待ちの中、初めて娘を連れて海外へ出かけた。
前もって航空会社に2度電話をして確認し、求められた書類を全て用意して、緊張しながらチェックイン・カウンターへ。
しかし、出生証明書も承認してもらったその他の書類も、提示を求められる事無くスムーズだった。往復で2つの異なる航空会社を利用、3度チェック・インしたが、結局一度も書類を見せることは無かった。子供連れの場合は出生証明書の両親の名前と連れている大人の名前が同じかを確認するとのことだったのに、実際はパスポートの名前が同じであれば、いちいち確認しないようだった。


出発前、養子縁組エイジェンシーでの最後の書類手続きのためのミーティングの際、娘のパスポートが無事夫の姓で取得出来たと伝えると、養父母の姓でパスポートが取れたとの報告はこれで4件目、と言われた。全ての養父母が最終決定待ち中にパスポートを取るわけでは無いが、産みの姓でしか取れなかったとか、受け付けて貰えなかったなんていうケースもあったらしい。
同じパスポート・オフィスに申し込んでいるんだろうけれど、対応する人によって随分と違いがあるものだ。私たちはとても運が良かったようだ。


心配していた気圧の変化もあまり気にする様子も無く、娘は飛行機の中ではほぼご機嫌で、長距離フライトで用意してもらったバシネットの中で行きも帰りもすやすやと良く眠ってくれた。
気圧のせいなのか、上空で排便したくなるらしく、行きも帰りもしっかりと2回ずつ大量に出し、しかも服を背中までしっかりと汚し、狭い飛行機のトイレ内でのオムツ替えと汚れた服を着替えさせるのが、今回の旅行で大変だったこととして記憶に残る。

その他に、母乳でないため大変だったのはミルク。
赤ちゃん連れなら、液体で売っているミルクはいくらでも機内持ち込み可能(自宅で混ぜて持って来た哺乳瓶のミルクは持ち込めないらしく、目の前の赤ちゃん連れの哺乳瓶のミルクは捨てられていた)だが、長いフライトの間、一度開けたミルクを冷やしておくのが難しい。自前の保冷バックも、ジェルが融けて後半は役に立たなくなるので、飛行機内で氷を貰ったが、いくらでも気前良くくれるわけでもなく、2度目にはちょっと渋い顔。また、液体のミルクは便利だが重いので、長期の場合全部持って行くのは難しく、滞在中は粉ミルクを作っていたけれど、自宅とは異なる環境とスケジュールの中で、毎日お湯を沸かしたり消毒したりが、楽ではなかった。

4ヶ月で長距離フライトの旅を心配していたけれど、多くの経験者が歩き回る様になってからの方が大変、4ヶ月くらいは一番連れて行き易いと言ってくれた通り、比較的楽だったが、ミルクに関してだけは、持ち歩くミルクが足りなくない様にと毎日気を使い、特に行きと帰りは、何か遅れが出てミルクが足りなくなることをかなり心配、母乳でない難しさを実感した旅だった。


仕事がメインの旅行だったため、あまり観光も買い物もする時間がなかったし、娘の記憶には残らないだろうけれど、連れて行って良かった。普段と異なる環境や人々に出会った事、皆に親切にしてもらったことが、例え意識として覚えていなくても、脳に良い体験として記録されていれば良いなと思う。


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